昭和40年10月13日 夜の御理解
13日会におかげを受けた方達が後全部、合楽の方へ参りまして、明日のお鏡つきの準備を、あちらでするそうで御座いますから、その準備の為に行っとられました。帰ってから福岡の方達が帰るって言うて、そしてからあの大和さんですね、あの畳の事で打ち合わせしとかきゃならん事がある、て言うておったと私は思い出しましたから、委員長あなたが電話を掛けてそして帰って下さいて言うて私はかけて貰いましたんです。
秋永先生へ直ぐ電話をかけた。ところがお話半ばにプツッと電話が切れたようにあったから、どうした事だろうかと思うておったら、まぁ奥さんが出られてから、今あのお電話を受けながら主人がた、倒れましたっち。目眩がしてから。まぁその直ぐ、あの気分が、まぁ良くなるわけじゃないけれども、おかげ頂いたらしいんですけれども、そんな事何かでは何か知らん、もう一部一厘の隙のない様な、神様のご守護というものを受けておる事を感じますですね。
電話をかけておる。こちらがかかったその瞬間の様な出来事だった。ですからもうそのもう倒れた瞬間に御届けが出来たという事なのですよね。今日熊谷さんが朝の御祈念にお参りされてから、昨夜はもう本当にあの広大なおかげを頂いたというて、夕べお夢の中にその泥棒が入って、孫さんと二人休んでおられて、その二人を起こして、その脅迫めいた事を言うたりしたり、しようとする時に金光様を唱えながら目が覚めた。
まだちょっと、起きるのには、時間が早いからと思って、休ませて頂いて、本当に今朝の御理解を頂いたら、本当に横着だったと思いますち言うて。何時もの、朝の御祈念に参る時間に起こさせて頂いたら、表戸がいっぱい開いとったち。本当に神様のこういうような中にでも、こういうご守護を、下さっておるんだぞということを、神様はお知らせ下さるんですでしょうね。
あれこそ大きなお家で、それこそ戸締り何か厳重にした上にもしなければ、昨日そのどうした手違いであったか知らんですけれども、そういう手違いの中にでも神様が、例えばそうしたご守護を下さっておる。今日のお湿りなんかでもそれを私は感じる、ね。本当にあの、そうした、あの神様の、間違いのない働きです。先ほど今度記念祭の、記念品に記念品が今日出来てきておった。
まぁ色々印刷物やら、記念品にする物やらが、一応永瀬さん取りに行って下さったわけです。それで値段が幾らか分からんから、まぁとにかくこれだけ持って行って下さいっち言うて、もう先生、先生託けられたのがもうきっちりでしたっち。もう多すぎもしなければ、あまりもせんというように、本当にこれが神乍らな記念品であったという事が分かりますとこう言われる。
それだけじゃない、その記念品が、やはり神乍らな物であると言う事。いわゆるそういうご守護の中にあるという事。ですからお互いがですね、そういうご守護の中におかげを頂いておると言う事を分からせてもろうてです、本当に神様に対するところの欺瞞があってはならない。疎かなことがあってはならないと。そういう例えば神様の緻密な働きの中にお互いがあるという事を本当に思わせて頂い てですたい。
する事なすことに、実意な限りを尽くさなければいけないなぁ、という風感じますでしょうが、ね。私は椛目にご縁を頂いておる方達、皆どういう端々の方の上においてでもです、そういう働きがあっておるんだけれども、それがこちらが欺瞞な生活をする。神の機感に叶わんし、実意に掛けた生活をするところにです、ね、神様を遠い所にしか感じることの出来ないようにです、この働きを身近に感じられんのじゃないだろうかと、私は思う今日その二三のそういう事からそういう事を考えました。
どうぞおかげ頂かれました。